たれててもいいです

 限定的かつ閉鎖的な僕の世界観にあって「趣味のよい」というのは、大抵においてシンプルと同義である。そのシンプリシティーに「品」が備わっていれば、それ以上望むものはない。
 だけど、シンプルであることはそう単純でもない。何が本当に自分にとって必要なことなのかを考えて、不要なものを見極め、切り取る作業があるからだ。そして、切り取られたものはさっぱりと捨て去られなければいけない。そのことを後から嘆いてはならない。
 日用品しかり、服装しかり、ハードディスクの階層構造しかり。戦うべき相手は、花柄の魔法瓶であり、涙でにじんだマスカラの目であり、ファイルやフォルダの散逸したデスクトップである。敵がエルメスのスカーフのもとに集うのであれば、僕は威勢良く真っ白な旗を掲げよう。
 大学時代から使っていた筆箱を床に落としてしまい、蓋と本体との接合部分が割れた。単純なと形容した方がふさわしいもので、再生プラスティックが用いられた単なる透明な箱である。
 買い換えないわけにもいかないので、機会があるごとに物色しているのだが、この街で暮らすことの難しさを日々実感する。ただただ、シャープペンシルと数本のボールペンと消しゴムとが収まればそれでいいのである。柄もいらない、キャラクターもいらない。でも、見当たらない。むしろこんなデザインなら、何も描かない方がよっぽどましではなかろうかと思える物すら並んでいるのに。
 今日はロフトへ行ってきたのだが、状況は同じだった。「日本からの輸入品コーナー」まで覗いてみた。馬鹿馬鹿しいけれど、日本の価格より高くなっていても希望に沿うものがあれば買うつもりにしていたのだが。
 今の生活では、僕は決してタイやタイ人に同化することを求めているわけではなく、やっぱり多くのことはこれまでに培われた価値観に従って物事を取捨選択している。たかが筆箱ではあるが、譲れない線は頑として存在する。
 そうは言うものの、ないものはない。現実的な諦めから、次第に要求水準が下がってくる。不思議なことに、派手な物に囲まれていると、その派手さに圧倒されてしまう。敵陣に単身切り込んだものの、あっさり捕まってしまい、転向してもよいかなと思い始める。
 その結果、「ええい、しょうがない。こうなったら、たれぱんだで妥協しよう」という所まで気持ちを切り替えた。考えようによっては、あれもシンプルではある。
 でも、幸か不幸か、ロフトにはたれぱんだの筆箱はなかった。うさこちゃんはいたけれど、それはまた少し具合が違う。(そこに、「Miffy」ではなくて「うさこちゃん」と書いてあったら手が伸びたかもしれない)
 学生の身としては筆箱というのは日常品だけど、とりあえずのところ少々の不便さを我慢しさえすれば、蓋がすぐに外れてしまうこれも使えなくはない。暫定性をぐっと飲み込んでいる間に、もう少し探索の幅を広げてみることにする。希望通りシンプルな物が見つかるのが先か、それとも、ある日から僕のカバンの中にぱんだが住み始めるのが先か。


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