気楽にいこう

 立て続けに「満室だ」と断られた後で、ようやく部屋を確保できたチョンキンホテルで、少々遅い時間の目覚め。ここはシングルでそれほど安くなかったので、新しい宿を探す必要があった。
 しかしお昼までのんびりと構えているわけにもいかない。スマトラ島へ渡るチケットの値段を調べておかなければ。加えて、「帰国便のチケットを持っていること」というインドネシア入国の条件の一つが、一体どこまで厳密に適用されているかの情報も重要だった。僕は帰国のチケットをジャカルタ辺りで手に入れるつもりでいた。
 何軒かの旅行代理店で尋ねて回るものの、反応は様々。「審査官次第」「日本のパスポートならオーケー」「必要だ。中でもブラワン港は厳しい」
 一軒の代理店では「フェリーはしょっちゅう故障して、欠航している。飛行機でメダンまで飛んだ方がいい」とすすめられて多少不安にもなった。
 それならば、インドネシアからの帰国便も組み合わせたチケットはいくらくらいで手に入るか、ということも調べてもらったが、これもちょっと辛い値段しか出てこなかった。やはり、インドネシアに入ってから探した方がいいのだろう。
 正規料金で購入して、入国してから払い戻すという手段もあるのだが、これは面倒くさそうだからやめにする。
 何軒目かで、よく焼けた日本人と出会った。彼女も航空券を探していて、この1時間ほどだけですでに3度くらい見かけていた。
 「行けるんじゃないかな。メダンまでの片道だけで行ったと言う人もいたし」
 よし、仮に追い返されても構わないから、とにかく片道だけのフェリーの切符を買うことにしよう。
 とりあえずチョンキンを出て、ザックを背負って通りに出る。さっそくトライショーが話しかけてきた。「安いドミトリーがある」ということで、チュリアから少し離れるが、一泊7リンギットの新中国旅社へ。
 部屋は相応だが、シャワールームはゆったりとしていて、何より便器が真っ白に保たれていたのが気に入った。この輝いている便器一つで、いいところだと僕は判断した。
 チュリアにあるバス停から、バトゥフェレンギへ向かうバスに乗る。
 ペナンをリゾートとして知らしめているビーチである。僕は海を見たいと思ったのだ。泳ぐつもりはなかったので、水着は持たない。
 どこで下りたらいいんだろうと思っていた。すると「日本人?」と隣の席の人。「俺、日本人の友達がいるんだ」「どこまで行くの?」
 「ん、バトゥフェレンギへ」「ここだ、ここだ」
 世の中どうにかなるものだ。
 道路からビーチへは、ずうっとフェンスが張られていて「進入禁止」と書かれている。林立するきれいで大きなホテルのプライベートビーチだった。
 適当に歩くと、お、ここは行けそうだという小道を発見。海を目指すといくつかゲストハウスが並んでいる。猟犬が茂みの向こうの獲物を嗅ぎ当てるみたいだ。
 売店でよく冷えたアンカービールを飲む。
 道を抜けると、海。青、と言うよりも多少濁った明るい緑色。サングラスがないと、目がちくちくするほどにまぶしい。シャツを脱いで、石造りのベンチに転がる。砂がはりつく感触がした。ヤシの葉が揺れ、沖合いには色鮮やかなヨットが。パラセイリングも飛んでいる。うん、リゾートだね。
 ぼうっとするのに退屈すると、シャツを片手に砂浜を歩く。シャングリラを筆頭に、高級なホテルが立ち並んでいる。浜辺や、ホテルのプールやバーには日本人の姿も多かった。日本人で見かけるのは若者か、比較的小さな子どもを連れた家族連れ。老人はいなかった。
 道路の側からプライベートビーチに接近できないが、砂浜に出てしまうと遮るものは何もないので、好きに移動できる。きょろきょろしながら歩いていると、僕にも「パラセーリングをやらないか」と声がかかる。
 砂浜で肌をやき、マリンスポーツを楽しみ、ビーチサイドのバーで冷たいビールを飲み、エアコンのきいたホテルに戻って熱いシャワーを浴びる。うん、こんな旅も悪くはない。いずれ金持ちになったらやってみたいものだ。
 全身から絞り出された水分を、アンカーの大瓶で補った。浜辺のバーでも一杯くらいなら飲むお金はあったが、僕にはこちらの方がふさわしい気がした。その酒屋のレジでは、子どもが算数の宿題をやっていた。
 新中国旅社に戻ると、ドミトリーに日本人がいた。こういう所に泊まる旅行者とは、少しばかり雰囲気が違っていた。
 アユタヤに住み、日本語を教えている。ヴィザが切れそうになったから、とりあえずマレーシアに出てきたのだと。
 「はじめてタイを旅した時にタイ語で旅をしようと思ったんです。始めは、英語も使ったけど、一月くらいでなんとかなってきて」「インドネシアの時も、インドネシア語だけ。もう、忘れたけど」
 僕にもやる気がわいてきた。言葉を覚えよう。
 彼もメダンに片道切符で入れた人に会ったことがあるから、とりあえずは大丈夫なのではないかという気持ちが強くなってきた。
 僕の国境越えのルートを話すと、彼はメモをしていた。どうやら少しお役に立てたようだ。
 彼はタイに住んでいるようなものだけど、歩き方も持っていた。そう、どっぷりそれに頼るのも、逆に馬鹿にして全く利用しないというのも僕は好きになれない。
 利用できる時は大いに利用する。けども、そこに載っているゲストハウスしか存在しない(あるいは信頼できない)と考えてしまうほどはのめり込まない。ぼちぼち、適当にというのが性に合っている。


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