泥色の河

 大雨が辺りを叩いていた。何時頃なのだろうかと、眠りながら思う。早朝なのか、もうお昼近くのいい時間なのかよく分からない。僕は普段から時計というものを持ち歩かない。役に立たないからと、ザックにしまい込んだ携帯電話のスイッチを入れれば時刻は表示されるのだが、面倒だから起きるまで眠ることにする。
 今日は「入安居」の日だから、早朝には托鉢の僧を多く見られるだろうと宿の人から言われていたのだが、早々に諦めることになった。
 メコン川の上流に仏像の並ぶ洞窟があるので、船を雇って観光に行かないかとも誘われていた。彼によると朝9時くらいまでには出発するのがベストとのことだったが、こちらも諦める。
 今回は、観光よりも、精神のリフレッシュとラオビールが主眼なのだから。
 もぞもぞと起き出したときには、主観的にお昼ぐらいだろうと思った。それほどにたっぷり眠った感じがあった。
 が、ロビーに下りて時計を見ると、まだ9時の少し前だ。夜の暗いこの街で、普段よりも数時間早くに眠りに就いたからだろう。
 川縁にて朝食。プラスティックの椅子にはまだ早朝の雨粒が残っている。
 「ずいぶん降ってたね」と言うと、「そうでもないよ。普通かな」と返ってきた。
 オムレツサンドイッチとマンゴージュースを頼む。彼が口にした「オムレツ」の発音もやはりタイ語と近くて、なんだか嬉しくなった。パンは、フランス植民地だった影響からフランスパン。ヴェトナムでもそうだったが、むっちりと噛み応えがあり美味しいパンだった(皮は多少しっけていたが)。
 「マンゴージュースには氷を入れる?」と訊かれたのでうなずいたのだが、しばらくして出てきた物は、氷と一緒にミキサーにかけた、マンゴーシェイクだった。甘くて、よい香りが鼻を抜けて、ねっとりと冷たい。これがめっぽう気持ちよく喉を下りていく。
 洞窟行きは、別に午前9時発でなくとも船はあるだろうし、チャーターするのだからこちらの都合で決めてよかろうと思い「午後に出るなら行くけど」と持ちかけてみる。昨日の半日、ぼおっと川を見下ろしながらビールを飲んでいる間に、それなりの頻度で観光客を乗せた小舟が軽いエンジン音を立てて行き交うのを目にしていた。あれだけ数があるのならば、よもや午後だからとて調達できないことはないだろう。
 午前のまだ暑くない内には市中の見物をしておこうと思っていた。船に乗って風に吹かれているだけならば、午後でもよい。
 実際のところ、洞窟そのものよりも、メコンの河上を船で行くこと、そして途中で立ち寄ることになる「ラオス酒の村」の方に、ずっと興味を引かれていた。極端な話し、洞窟は捨ておいても、その村で酒を買って来て、行き帰りは川の上でのんびり昼寝をしていればよいとさえ思った。
 結局、午後1時に出発することで話しがまとまった。行きに1時間半、流れに乗る帰り道はおよそ1時間くらいとのこと。

 ちょうどこの座席から川と反対側に目をやると、家々の屋根越しに目に入る丘がある。その頂上にちらりと金色の尖塔がのぞいている。ポーシ寺、である。
 決して高い丘ではないのだが、参道を見上げると、非常に急で細い石造りの階段になっている。そこを木が鬱蒼と覆っている。

ポーシ寺参道
 おそらくはここが観光のメインディッシュである。他の人たちと同じように、僕も上へ向かって歩き始める。すぐに汗をかいてきた。椅子に座っている分にはちょうどよい気候だが、こうして多少身体を動かすと、その湿気がじっとりと身体に絡みつき、汗が染み出る。今日一日はTシャツを替えなくても済むだろうと楽観していたが、とりあえずこの山を下りたらシャワーを浴びて服を替えないことにはどうしようもない。
 頂上へはゆっくり歩いて10分くらいの道のりだった。金色に輝く仏塔を見て、僕はチェンマイにあるドイステープ寺を思い出した。形状はよく似ているが、サイズはあちらよりもずいぶんと小型である。
メコン川と街並み
 街並みはメコン川とカーン川という二つの流れに沿ってできている。だが、それ以外の部分、視界に入るほとんどの領域には、人工の建造物が見当たらない。多少の起伏のある森が連綿とつながり、ずっと遠くの方で白い雲と混じり合っている。
 表参道とは逆の側に、もう一軒の寺の案内表示があった。行きと帰りは違う道、という僕なりの旅の原則に従ってそちらを下りる。
 黄金涅槃物がいる。ちょっとした洞穴に、大黒様のような腹をした、これまた全身が金色の、半開きの口に、目つきまでおかしい仏像が据えられている。階段の手すりに沿っている派手な彩色のナーガは、田舎の公園に置いてある遊具みたいだ。どれも今ひとつ、というのが率直な印象だ。あまりていねいに造られていないように見える。
黄金色の仏像
ナーガ
 逆側に下りて、ぐるりと丘を半周して宿へ戻ることにする。途中、市場の横を通ったが、休みの日だからであろうか、大方は閉まっていて、残っているのは文房具や雑貨などの非生鮮食品の店ばかりで、あまり面白味がなかった。
 交通標識にカメラを向けている旅行者を見かけた。何があるのだと彼の後ろからのぞいたら、確かに興味を引くに十分なものだった。ラオスの伝統衣装を身につけた女性が横断歩道を渡っている図柄。こういった日常レベルでの異国情緒というのは楽しい発見だ。
交通標識
 民家の間を縫う小路を歩いていたら、青空市場に出くわした。ここでは肉や野菜が売られている。舗装されていない道路は、場所によっては少しぬかるみが残っている。鶏が元気に走り回っていた。
 とりあえず宿でシャワーを浴びて、汗でぐっしょりしたシャツを洗う。扇風機の風が当たるように室内に干しておく。
 たっぷり汗をかいたので、ビールで水分補給。
 あっと言う間に1時である。宿の彼が迎えに来る。
 「午前中はどこを回ったの?」
 「ポーシの丘へ」
 昨日、地図を広げながら彼にいくつかの場所を薦めてもらったのだが、僕がその内の一カ所しか訪れなかったことに少し驚いたようだった。まあ、よい。

 野球場にある座席を半分に切り取ったほどの、20センチばかりの高さの足がついた木製の座席に座る。客席は6つ。でも、客は一人。船頭も一人。細長い小舟、と言うよりもボートである。
 僕が右舷の一番前に着席したら、船頭の彼は少しだけ尻を動かして左寄りに腰掛けた。そうしないとバランスが取れないのだ。たぶん、あまり考えたくはないけれど、僕が急に立ち上がってしまえば、あっと言う間に転覆しそうなくらいである。
 岸を離れ、のどかに出航。船頭の彼が握る舵は、どう見ても自動車のハンドルを取り外して心棒にくっつけたものだ。
 視界の前方に河はゆっくり大きくうねっている。次のカーブまでしか見渡せない。その向こうはずっと、低い山が緑なして連なっている。彼方の雲南省やチベット高原を目指して、舟は軽快に進む。
 集落の部分を抜けると、まず給油だった。ガソリンスタンドが(燃料がガソリンかどうかは不明だが)岸に浮いているのである。外見は一隻の船であるが、「CALTEX」との看板も掲げられている。そこに横付けして、手動のポンプから長いホースで給油。

ガソリンスタンド船
 第一の目的地は、酒のシャンハイ村。土手を上がると、ちゃんと「TRADITIONAL LAO RICE WHISKY / XANG HAI VILLAGE」と表札がある。
 いきなり目に入ったのが、ごろごろと無造作に地面に転がった黒い酒壺だったので、無性に嬉しくなってしまう。
 「ラオスの酒」というのをラオス語で言うと、「ラオ(酒)・ラーオ(ラオス)」となる。これはタイ語と同じだと思う。前後の語で、声調と母音の長さに違いはあるにせよ、なんだか可愛い発音だ。らお・らーお。雲に乗って山河を漂う仙人のように、ゆったり微笑ましく酔っぱらうことができるような気がする。二日酔いどころか、次の日の朝になってもにこにこ楽しい気分が続いていそうだ。
 村自体は、3分でぐるりと一周できるような、本当にささやかな物だ。ずっと昔、住処を求めて長い旅をしてきた人々が、少しだけ開けた場所に出て「ここなら川沿いだから何かと便利だろう。さして広い土地ではないが、何せ象の群が暮らすわけではない。うん、まあ我々にはここでいいんじゃないか。じゃあ、皆の家を建てようか」と。そして田を拓き、目の前を流れるメコン川で魚を獲り、彼らの新天地での暮らしが始まった。
 そして、そんな中に一人の知恵者が現れる。僕の勝手な想像に過ぎないが、たぶんそいつは、田を耕したり、木を切り出して舟をこしらえたり、あるいは漁網の繕いに精を出すような人物ではなかった。代わりに、村に出入りする旅の商人から聞きつけた「ラオ」なる飲み物の製造に勤しんだ。曰く「舌と喉が焼けるように思えるが、一口飲めば手足は軽く、あたかも天空を泳ぐ心地。二口飲めば、もはや世の雑事も憂いも風に乗って飛んで行ってしまう」
 彼(もしくは彼女)は、村の片隅で一人研鑽を重ねる。額に汗して働く他の村人からは疎まれたりもする。「あいつは怠け者だ」と後ろ指をさされながらも、まだ見ぬラオを求めて試行錯誤。米を醸造し、その上澄みを集め、火にかけて蒸留する。それを瓶に寝かせること数ヶ月。心ない人によって、月のない夜に瓶が割られてしまう事件もあった。
 そのようにしてできあがった透明な液体は、彼(もしくは彼女)をこの上なく魅了する。そして時を置かず、全ての村人の知るところとなる。メコンを行き交う旅人までも、噂を聞きつけてやって来る。そして、21世紀においては時として異国の旅人も、この村を訪れる理由となる。
 だが、彼(もしくは彼女)は、商人の口から語られた、ラオについての最後の言葉を聞き逃していた。それこそが肝腎だったのだ。
 「……そして三口飲めば、あとはどれだけ飲もうが同じこと。翌朝の代償は小さくはないですぞ。ゆめゆめ忘れることのなきように」
 通りに面した店の軒先に、その酒が並んでいる。そして、その透明な瓶の中には色鮮やかな蛇やサソリが、まるで理科標本のような奇麗な恰好で漬けられている。
ラオスの酒
 僕は爬虫類とか両棲類というのは、かなり苦手だ。でも、怖いもの見たさで、ついつい近寄って写真に収めてしまう。だけど、買おうとはさすがに思わない。
 似たような店が並んでいる内の一軒で、おちょこで試飲を薦められた。ただ酒、である。ありがたく頂戴する。少し苦みとえぐみのある、度数もそれなりの酒だった。飲んでから気付いた。ちょっと待ってくれ、何が漬かっていたのだ、この液体には。
 老人が瓶を見せてくれた。助かった、黒い体躯のサソリだった。これならまだ辛うじて耐えられる。同時に、生きているサソリが入った瓶も揺すって見せてくれた。動いている方が抵抗感が強い。
 酒の味としては「米(しかも長粒米)からできた蒸留酒で、瓶に寝かせたもの」ということで、ほとんど泡盛である。僕は泡盛とか焼酎とかは得意な方ではないのだけれど、せっかくここまで来たのだからと一本だけ求める。もちろん、瓶の中にはこの無色透明の酒以外には何もない。200mlほどの小瓶で3ドル、120バーツ。

 舟はさらにメコンを遡る。
 座席と操舵席との間に一畳ほどのスペースがあるので、そこにごろりと仰向けになる。眩しいからサングラスをかけたまま。一眠りしようかと思っていたら、舟は減速して目的地、タムティン洞窟へ到着。
 入場料を支払って洞窟へ。看板によると、「上層」と「下層」の二つがあるみたいだ。まずはすぐ目に入る下層の洞窟へ。

洞窟
 岩の山肌にぽっかり開いた穴に、仏像がずらりと並んでいる。クモの巣が張っていたり、両手がなかったり、顔が欠けていたり、傾いていたり、全体として雑然とした感じを受けるが、それでも仏像が並んでいるという情景には何かしらしんと感じ入るものがある。
 説明書きを読む。そもそもは川の精霊への信仰から始まった。中国南部から下りてきた初期のラオス人がこの地に流入したのが8世紀の中頃のこと。西からは仏教が広まってきた時期にも当たる。16世紀までには、仏教は王室にも採り入れられ、1975年までは、王とルアンプラバン人が新年の宗教行事の一環として毎年巡礼に訪れた。この洞窟に安置された仏像の多くは、18世紀から20世紀にかけての製作である。およそ4000体が現存している。
 続いて、階段を上がり上層窟へ。午前と言い、今と言い、なんだか上ってばかりだ。普段運動をしないから足に堪える。森の湿気が汗を絞り出し、シャツが身体に貼り付く。
 先ほどの洞窟には陽の光が射していたが、こちらは奥まった場所にあるので、真っ暗闇。灯された一本のろうそくだけが辛うじて光源。カメラのフラッシュを焚こうにも、運悪くバッテリー切れ。
 何があるか分からない。足許がどうなっているかも覚束ない。石に躓くのも、水溜まりに踏み入れるのも避けたいが、何より蛇やサソリの類がいたらどうすればよいのだ。つい先ほどまでの蒸し暑さから一転。暗く冷たい場所に入り込んでしまった。汗が妙に嫌な感じに冷える。薄く冷たい金属片がぴたりと全身を覆っているかのようだ。
 それでも好奇心である。へっぴり腰で燭台に手を伸ばし、一時的に拝借する。僕以外の見物人はいないからいいことにする。ここにも仏像が並んでいるようだが、さすがにこの仄かな明かりだけでは手許を照らすのが精一杯である。
 奥の壁際までたどり着いたら、もう後はひたすらここから出ることを考える。蝋を垂らして蝋燭を元の位置に戻し、なんとか光のある場所まで逃げ帰る。川面まで下りる途中、やっぱり足がかくかく震えていた。

 帰りの舟の上で風に吹かれて、シャツの汗が乾くのを待つ。少し曇ってきたが、涼しくてちょうどよい。
 岸辺に繁茂する草木は、地面から空に向かって生えているはずなのに、まるでそれとは逆に上の方から粘性のある緑のもしょもしょをぶっかけたように見える。こんもりした丘の一つが実は緑色の巨人で、ふいに立ち上がってあくびをするんじゃないかという気さえする。それほどに全体として生き物のように、圧倒的に見える。自分の乗っている舟が、よけいに小さく心細い物に思える。
 だけど、河は穏やかなので、揺れることもなければ転覆する危険もなさそうだ、という現実認識が救いである。「いやあ、すごい緑だなあ。雄大だなあ」とのんきに構えていられる。
 おもしろいことに、ふいに水面が波立っていたり、渦を巻いていたりする箇所がある。普通に考えたら、そこに岩でもあるのだろうと思う。濁流だからそれがまったく見えないだけで。
 だけど、そういう場所には、実はメコン大なまずが泳いでいるのだと、僕は思う。
 この河のことである、どのような巨大な生き物が棲んでいるか分からない。実際、1973年にアメリカ海軍が捕まえた、全長8メートル近いナーガの写真というのを土産物屋で何度か見かけた(同じものをタイでも見たことがある)。船の甲板に屈強なアメリカ人の兵隊がずらりと横に並び、彼らが龍の原型のような生物を抱えている写真だ。生物学的にどのような生き物なのか浅学にして不明だが、ウーパールーパーと太刀魚とをかけ合わせて、何百倍かに拡大したようなヤツだ。(この写真の真偽についてはは議論が残っているらしい)
 そんな物すら生きている河である。なめらかに塗られたチョコレートクリームのように見える水面が、ふいにざわざわと逆巻いていたら、メコン大なまずに違いないのだ。
 いつの間にか雲が薄く覆ってきた。前方の山に、白く煙っている部分がある。あの下は雨だ。そして舟は雨雲に向かって下る。軽い雨滴が僕らにも注がれる。少し肌寒さを感じる。
 ルアンプラバン到着直前で「織物の村」に立ち寄る。土手を上がる僕の姿を目敏く見つけた女性が一人、「スカーフ織るわよ。何枚欲しい?」と声をかけてきた。でも、別にいらない。まあ、せっかくだからと言うだけの理由で一回りして、一度も足を留めることなく舟に戻る。

 昨夜と同じように夜市をぶらついていたら、大雨が到来した。雨を避けようと、たまたま昨日と同じ麺の店へ。昨日とは違う麺(手打ちうどんのように見える)を一杯すすり、やはり美味だと感心していたけれど、その間にも雨足は強まるばかり。時折、稲妻も光る。ほとんど嵐の様相である。
 この店はパラソルで雨を防ぐようになっているからさほど問題はないのだが、ビニールシートを屋根にしているだけの店の人は苦労していた。なにせ、数本の竿を立てた上にシートをばさっと乗せて、その端を近くの木だとか軒先だとかにヒモで結んでいるだけなので、雨がすぐに貯まる。次第にその部分が雨水を湛えて垂れ下がってくる。定期的に下から突っついてドバッと流しているが、一人のおじさんがそれをやったら、見事に頭から水の塊をかぶってしまっていた。申し訳ないけど可笑しくて、声を立てて笑った。
 雨は止まない。机に置かれたインゲンをぽりぽりかじったりする。しばらくじっと待っていたけれど、勢いは相変わらずだ。もう一杯、今度は昨日と同じ麺を頼む。
 お腹も十分にふくれたのだが、雨足が弱まった後の屋台で、太い竹串で豚肉を挟んで焼いたものを買い求め、再びゲストハウスでビール。でも、やはり静かで真っ暗で、その静けさにつられるように、10時にはもうベッドに横になっていた。


戻る ( a )   目次   ( a ) 進む
戻る ( b )     ( b ) 進む

ホームページ