君の名は・イン・タイランド

 「こんにちは、豚さん」「シャンペン先生さようなら」「ねずみ、週末って暇?」
 別におとぎ話を始めるわけではない。このような会話はタイのあらゆる人たちの間で、極めて日常的に交わされている。
 タイ人は、本名とは別に何かしらのニックネームを持っており、一般的な生活ではそちらを用いることの方が多い。本名は親や親戚、それにお坊さんや占い師などが決めるが、ニックネームはだいたいの場合は親によって決められる。
 そこには二つのパターンがある。本名を短くしたものと、まったくそれとは関係ない語を使うもの。
 前者は例えば、ラリンティップという本名からニックネームが「ティップ」となるような。渡辺さんという名字の人が「ナベさん」と呼ばれるのと似ている。
 おもしろいのは後者である。日本人の名前もそれぞれに意味や由来があるが、タイ人の場合はかなり直接的に事物に関連していることが多い。特にその傾向は女性に高い。ちなむ物によっては、「果たしてこれが人名でよいのだろうか?」と訝しく思うものすら存在する。
 以前、日本でタイ語を習っていた先生なぞは「蚊の子ども」だった。生まれたときに小さくて色黒だったからだとか。でも、今では目の醒めるような美人である。
 母親がビール好きだったから、という理由で「ビア」という友達がいる。やはり彼女もビール好きに育っている。飲食物由来はバリエーションも豊富で、他にも「水」「バナナ」「サトウキビ」「パン」「卵」「キュウリ」「魚」「カニ」などなど枚挙に暇がない。
 「バラ」「蘭」などの花の名や「空」「星」さらには「ダイヤモンド」という辺りは美しく思う。小鳥の鳴き声を現す「ジェップ」はかわいらしいけれど、豚の鳴き声を表す「ウート」を用いるのはどうなのだろう。「うさぎ」「蝶」などはともかくとして、「トカゲ」「亀」といったあまり可愛いというイメージのない動物類。
 「赤」「白」「黒」などの色の名もある。アルファベットから「エー」「ビー」「シー」と名付けられることがあれば、数字で「1」「2」「3」という極めてシンプルなものも。純粋タイ人だけれど英語由来の「メイ」「マイク」「ジューン」などなど。
 うちのマンションのフロント(というものがあるのだ)にいる女性で、一番華奢な人が「マックス」だったのには驚いた。
 女性のニックネームで「女」、男性に「男」という、親がひたすら頭をひねったのか、もしくは何も考えていないのか理解に苦しむものも存在する。のみならず、地方によっては「女性器」「男性器」と名付けられることすらある。さらにさらに、「かわいい女性器」「小さな男性器」という意味をも持つ語まで行くと、外国人の僕にとっては理解の次元をとっくに超越しまっている。
 でも、ここまで何でもありなように見えつつも、ニックネームとして用いられない語もある。例えば動物の中でも、「水牛」というのはあり得ない。タイ語では水牛は愚かさの象徴であるからだ。「あいつは水牛のように間抜けだ」という比喩表現は、かなり攻撃的な意味合いを持つ。
 数人のタイ人学生と食堂で昼食を食べていたときに、この手の話題になった。
 僕の名前である「アワヅ・ケイ」はオリジナルのタイ語には存在しない音が含まれている。だから、タイ文字でできるだけ原音に近づけて表記してみても「アワス・ケー」くらいが限界。
 そこから生じる違和感もあり、また、ささやかな変身願望もあり、何か親しみやすい呼び名があればと思い、期待を込めて「僕にニックネームをつけるとしたら?」と訊いてみる。
 でも、返答はあっさりしたものだった。「う〜ん……。ケーさんは、もうそれで十分短くて分かりやすいから、そのままでいいんじゃない?」
 そんなわけで、僕は今しばらく「アワス・ケー」で行くしかないようだ。


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